2014年9月10日水曜日

フィンランドのグループホーム   退屈という高齢者

   

   

    フィンランドでも高齢者ケアは、施設ケアから在宅ケアへと方向転換が進められているが、その実状については、できるだけ自宅で自立した生活を送ることを目標としているというが、その実践は容易いものではないのかもしれない。
認知症専門グループホームというより、ユーコラタイプのように自宅での生活が困難になった高齢者を24時間ケアサービスのついているグループホームに入所させるというのがタンペレ市でも進められているが、国の方針のようだ。生活の困難というのは、むろん事故や病気のため身体が不自由になった人も含まれるが、ユーコラの場合のように90%は認知症であり、それも徘徊などが始まった重症認知症の高齢者が多い。認知症の他に糖尿病、心臓病などの慢性疾患を伴っている高齢者も多いが、それでも寝たきりという人はごく少なく、日々の生活をグループホームで介護士の援助で人生を全うするまでクラスというのが、フィンランド型グループホームの根幹である。
衛生排泄などに不自由が進んでいて、高齢者おむつダイパーを使用していることも多いので、この始末の援助も重要な仕事の一つとなっていし、シャワーを自分一人で浴びることが困難な人も多いので、補助したり、またフィンランド人にとって欠かせないサウナの援助も行う。
   でも、基本的に最後まで人間としての尊厳を尊重したいので、自分で食べ、自分で歩くということを促すことにしている。とはいえ、ウォーカーを使っての歩行がほとんどであるし、アクテビティーに参加するのは個人の自由であり、強制することはないので、結局のところ、自室と食事やティータイムにダイニングルームにでてくるという、それだけの範囲で生活してしまうことになる。グループホームが14、5人を一つのグループとしているのが、基本で、それにモーニングシフト、アフタヌーンシフトにラヒホイタヤ2人、月曜日から金曜日の10時から午後3時ごろまでは、アクティビティスタッフ、リハビリテーションスタッフがいることもあるが、それでも、人員不足なのかなと感じることもあるこの頃だ。認知症が進行すると、その進行の度合いや具合が人によってまちまちなので、例えば2、3人のレジデンスを一緒に外に散歩に連れ出すということは、大変なことだと理解し始めたのだ。右にいきたいのか、途中でベンチに座りたいのか、一人一人は違うのだから。食事や排泄の援助介護をしながら、一緒にアクティビティというのは、結構大変。建物は施錠されているが、フィンランドの特に公的施設のグループホームは結構広くて、その中で徘徊をする高齢者もいる。徘徊が問題というより、もし転倒したらということで、目が離せないし。

グループホームでの入居者の事故や死亡のほとんどが転倒なのだ。
  そうして今日、最近認知症が進行していると思えるLがやってきて、“私は退屈だわ、何にもすることがないんだもの”という。だって、朝、アクティビティに誘っても出てこなかったのにと思いはするが。これが、パーソンセンターケアを提唱したキットウッド博士のいう、認知症高齢者の隠された個別性なのだろう。 Lだって、自分の中での自分の生活、人生について考えているのだ。フィンランドのこのようなグループホームはまだ最近の形態であるので、介護の先進国とはいえ、パーソンセンターケアの概念がすっかり根付いているというわけでもないようで、スタッフによっては、次から次へと援助介護に徹してしまい、会話の少ない人もいる。じつに機械的に介護してしまうのだ。徘徊すると転倒の危険が高いレジデンスを車椅子に座らせて、テレビの前に置き、他のレジデンスの介護にあたる場合も見受ける。これが現実なのだなと感じるが。

  

    スタッフのAが、じゃあナプキンを暇なレジデンスにたたんでもらいましょうといいだした。もうほとんど車椅子だけに頼って座ってばかりいるHgとHeに、これをこのようにたたんでくれる?と聞くと、なんとうれしそうに、もちろんよということになった。Hgは角と角をきちんと合わせて、ていねいにおりたたむ。自分の部屋もきれいにしているが、きちんとした性格がよくわかる。Heも喜んでやってくれた。ていねいにたたんで、次から次と進んでやってくれる。しばらくするとHgが便意をもよおし、自室にもどらなければならなくなったが、2、3日分もの山のようなナプキンがたたまれた。



     やってあげることは決して、親切ではない。食べて、座って、コーヒー飲んでスナック食べてという毎日では、なんの意味があるのか。いくら体が不自由になっているというものの、認知症が進んでいるというものの、もっと何か、自分からできることを見つけ出してあげることも、介護のうちなのではないだろうか。

0 件のコメント:

コメントを投稿