今日は特別なめでたい日、10月1日はタンペレ市の235才の誕生日です。朝、タンペレ大学で受講しているフィンランド語クラスの教授がおっしゃいました(でも、祝うどころか、そのすぐ後にテストだったんですが)。
タンペレ市は1779年時のスウェーデン国王Gustav IIIによって建立されました。当時フィンランドはスウェーデンの下にありましたが、直前まではロシアに制圧されており、2つの国の間で、その緩衝地帯として長く苦しい時代が続いておりました。その後、1809年ナポレオンの対英大陸封鎖に乗じて、ロシアがスウェーデンに宣戦し、開明的な啓蒙君主だったロシア皇帝アレクサンドルの下で、立憲君主制大公国となり、
フィンランド人による内政が実現、フィンランド語もまた公用語に加えられることになったのです。しかし、この頃からフィンランドとしての独立精神が強まり、「我々はスウェーデン人には戻れない。しかしロシア人にもなれない。そうだフィンランド人でいこう(Ruotsalaisia emme enää ole, venäläisiksi emme voi tulla;
meidän täytyy olla suomalaisia.) 」民族叙情詩カレワレが出版されました (1835年)。
タンペレ市自体は、ナシ湖とピュハ湖に狭間れ、2つの湖の湖水の高さの違いを利用したフィンランドで初めての電力発電を成功させ、製紙、皮革、繊維工業都市として栄えました。フィンランドで第2番目に大きい、20万人の都市人口は周縁地域も含めてピルかンマー郡としての経済、政治地区を形成しています。1000人近くの研究員を持つ、ノキア研究所もあり、近年はIT産業中心の工業都市になっています。
豚の血をソーセージにしたムスタマッカラ、ブラックソーセージの発祥地。ヘルシンキを中心とした標準フィンランド語に対して、タンペレなまりのフィンランド語、例えば、“私は日本人ですは、”“ミナオレ ヤパニン”ですが、タンペレでは“マーオレ ヤパニーン”とくどくなります。
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