2014年10月6日月曜日

タンペレ市シティホールにみる235年の歴史

101日のタンペレ市235年祭の一環で今週末は市内の各ミューゼウムが無料公開またはスペシャルイベントを開催しています。市の公立ホールでも1年に1度の市民公開があり、見学してきました。ここは、1890年に建築されたネオルネッサンススタイルの市民広場に面した3階建ての伝統的な議事堂であり、また祝日などに市長がバルコニーで演説をしたりもするところでもあります。また、ビジネス、政治、文化多方面にわたり、年間200人以上のゲストがタンペレ市に招待されますが、ここでレセプションやダンスパーティーなどが広げられます。長い歴史の中、いろいろなゲストが訪れましたが、1906年には当時世間をにぎわせたロシアの銀行強盗 ジャン ツホッケJan Tshokkeがここで捕らえられ、殺害もされました。
  普段入る機会もないのは、私のような外国人だけではなく、一緒に見学したタンペレ生まれのフィンランド人の友人たちも同じ。彼女達高校時代からの友達同士の66才ですが、こんな公開が始まったのはここ20年ばかり前からよとのことだそうです。
  
 ジョ−ジ シュレック デザインのこのシティホールで、18901月に市の発足式が行われ、その当時人口は2万人だったそうです。市の裁判所でもあり、行政裁判所でもありましたが、最初の頃にはまた、刑務所でもあったそうです。また、消防所の一部でもありましたが、これらの部署は1960年代に独立して、他所に移りました。大戦中にも、ロシア赤軍の最期の基地でもありました。タンペレ市にはレーニン博物館もあるのですが、革命前レーニンは密かにタンペレ市に住み、ここでロシアの同士と革命の案を練った歴史的な場所でもあるようです。
  シティホール内はロシアや、ヨーロッパ各地のフランス、ドイツなどから運ばれた家具に飾られ、フィンランドのその当時の有名な画家の作品が各部屋の壁をおおっています。地形的にフィンランドはヨーロッパの歴史というよりは、東欧、北欧、ロシアの歴史の影響を受けて当然ですが、私にとっては、それは、イタリアやギリシャの華麗な建物に観られる華やかさというものではなく、厳しい北国という素朴さを感じさせます。








  

それが、235年たつと、37才の社会科学博士号をもつ女性市長を掲げた、男女同権というよりも、もっと強烈なフェミニズムに支えらたフィンランド第2の市に成長しているのです。コウクニエミ高齢者コミュニティーでミーティングが会った際、私のスピーチに挨拶してくださった親しみ易くもある美人市長です。

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