2014年7月10日木曜日

フィンランドの老後

      


     世界的に認知症ケアの基本コンセプトは英国の心理学者Tom Kitwoodによって提唱されたパーソン.センタード.ケアに基づいた方向に向かっていると思う。介護者ではなく認知症の本人の視点にたったケア、その人のニーズに答えるケア、その人の物語を聴くことから始まるケアである(長谷川和夫、痴呆ケアの新しい道.日本痴呆ケア学会誌137-442002)。最近では認知症が進行した高齢者に置いても自分の状況をはっきり認識して不意に話しだす、行動する一時期があることも報告されている。であるから、これは認知症によってその人の個別性が失われているのではなく、その人の個別性は隠された状態なのだという見識である。
長谷川は長年の経験から意識の明晰さの一過性エピソードは介護人が認知症本人を受け入れ、寄り添い、過剰な押しつけや訂正をしない状況でみられると報告している。だから、できるだけ、認知症高齢者の介護には、黙って寄り添うという姿勢がだいじだと指摘している。私のユーコラでの観察はまだまだ短期間ではあるけれど、レジデンスをながめながら、文献で読んだことに頷いたりすることが多々ある。それぞれのレジデンスは平均85歳といえども、実は年齢は70代から90代と幅が大きくある。ここで、特に感じるのは、75-84歳、85-90歳、91-100歳では、同じ高齢者といっても、個別性を超えた差異が認められる。個人の差を、男女の性差を差し引いても、この年齢別のグループでの、行動、常識、ものの考え方などが異なるようにみえる。そのことは、少しずつその違いの例を、行動パターンの違いを表にしていこうと試みているところだ。
意識の明晰さの一過性エピソードについては、明らかに配偶者、パートナーの存在が大きいのではないかと思う。3人の男性認知症レジデンス(一人は80歳前だが、パーキンソン氏病が相当進行している、2人は認知症が進行している85-90歳)をずっと観察していての感想だが。3人とも妻が健在である。2人の男性認知症レジデンスの妻は積極的に訪問するが、残りのレジデンスの妻にはまだ会ったことがない。ケアスタッフに聞いても、入居していらい半年が過ぎるが、始めに書類の手続きもあり、妻と息子がきて、その時に各自の部屋はそれぞれの好みに合ったように必要な家具などを運んでもよいし、また、着替えの服なども少し必要だから準備するよう話したが、その後1度、訪れただけだという。それも、何も、肌着、下着の着替えの一つも持ってこなかったという。
3人とも認知症の進行は重症なので、会話をするのが困難。徘徊が多い。目を離すと廊下やリビングルームをいったりきたりするばかりでなく、勝手に他人の部屋に入って、たまにそこで寝ていたりもする。自分の部屋を認識しているようで、そうでないないときもあるのだ。途切れ途切れではあるが、昼までも寝てしまうこと多い。食事は、ときに自分からダイニングに来るのを忘れることもあるが、それでも、テーブルに座らせると、自分で食べることが出来る。食欲は衰えていない。食べこぼしをすることがあるので、エプロンはさせるが。
レジデンス同士はむろんのこと、スタッフとの会話もスムーズではない。
  それが、妻が訪れた時にそのレジデンスの様子がすごく変化するのに、最近気づいた。妻が近づいてきて、テーブルの隣に座ったり、一緒に歩いたりすると、その顔が急にすごく落ち着いてみえる。妻とだって、会話がスムーズというようにはならないけれど、しかし、妻の声のトーンを聞き分けるのか、微笑みが顔に現れるのだ。3人とも典型的なフィンランド人だから、金髪で青い目であるが、その青い目のスマイルはとても美しいのだ。
  一方、妻がほとんど来ない残りのレジデンスは、夜中の徘徊が多いし、昼間もベッドに横になっていることが多くなっている。天気がよいからと外に散歩に連れ出そうとしても、なかなか承知しない。手を振って、放っといてくれというようなしぐさもするし。認知症が進行してくると、微笑みが消えるというか、微笑むことが少なくなるようだが、このレジデンスはほんとうにほとんど笑った顔を見たことがない。

  子供に老後を頼らないというフィンランドにあっては、やはりパートナーの意義が大きいのではないだろうか?欧米並みに離婚率が高いフィンランドであり、そして、高齢者の再婚率も高い。回りを見回しても、60代、70代で2度目、3度目の結婚、同居が歓迎こそされ、問題とはなってないようだし。70歳で一人だと、はやくいい人を見つけてね、などと声をかけられているのを聞いて、驚くのは私が、外国人だからだろうか?まあ、中産階級が多く、社会福祉政策によって、高齢になっても一応の暮らしは保証されているフィンランドだからなのか?

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