2014年7月31日木曜日

かみなり

 暑い日の続いているフィンランドですが、ここのところ サンダーストームもけたたましく鳴り響いています。

あれよあれよという間に灰色の雲が立ちこめたと思ったら、ゴロゴロっと。なにせ湖に隣接した高齢者ホームですから、もろ、突風と雷に総攻撃されています。

湖面の水が怒り狂ったかのようにしぶきをあげて。あわててベランダのガラス戸を閉めなければ。




2014年7月29日火曜日

在宅介護か施設介護か

   


   アニッキは87歳、小学校教師を務め、65歳で退職後は夫と2人暮らしでしたが、14年前にその夫が亡くなり、一人暮らしとなったそうです。子供は男の子と女の子の2人。息子は残念ながら20年以上も前に、若くして心臓病で亡くなり、娘は留学先のドイツでドイツ人医師と結婚、以来40年以上ドイツに暮らしています。それでも、自分の兄弟姉妹や親戚がタンペレにいますから、ジムに通ったり、ライティングクラスに参加したりしながら、一人暮らしの日々を送っていました。ドイツにすむ娘は毎年のように、夏休みは家族でフィンランドの両親のサマーカッテージに来ます。その娘も自分自身の子供達、息子はオランダのアムステルダムで日本人のガールフレンドと同居しているし、娘はイタリア人と結婚してスイスに暮らしている、EU、ヨーロッパの生活とはこんなものと考えているようです。留学先で結婚して、そのままフィンランドに戻らなかったのは、なんでもない、それが人生、ハッピーになりたかったからよと話します。
  それが、2年程前からアニッキの物忘れがひどくなりました。まあ、年齢とともに健忘症が進むのは当たり前とは感じてはいたそうですが、その度合いがひどいのに驚いた、とドイツ人の夫がいいます。サマーカッテージで夏休みをいつものように楽しんでいたのですが、その物忘れのために会話が時々ちぐはぐになってしまい、いよいよかと感じたそうです。すでに85歳という年齢のこともあり、一人娘ですので、この際ドイツに来てもらい一緒に暮らせないだろうかと、始めは思案しました。でも、ドイツ語という壁もあり、家族親戚から離れてしまうということで、本人は難色を示しました。
それで、タンペレには親戚も多いことだしと、様子を見ていたのですが、さらに、昨年来、徘徊も始まるようになりました。そして、自宅はフィンランドで一般的なアパートメントですが、昨年転倒、両手を骨折してしまい、大学病院に入院しなければならないことになりました。その後、入院したことで、運動機能が弱体化してしまい、退院後アパートメントの自宅に帰ることにひどく不安を感じたと娘が話します。


   福祉国家であるフィンランドでは在宅ケアサービスを申し込めば、クリーニング、配食サービス、入浴介護、様々なケアサービスを受けられますが、それでも、一人暮らしが可能かしらと心配で、しばらく娘だけでもフィンランドに帰ってくることも、考慮した程だそうです。それが、ソーシャルワーカーとの懇談が進む中で、このグループホーム、ユーコラへの入居の選択がでてきました。個室のレンタル、3食、クリーニング、トイレやシャワーなどの衛生介護など、アニッキの年金から支払い、それに医薬品代などもかかりますから、毎月手元には99ユーロだけ残るしくみになっています。ですが、娘など家族が金銭的に援助することはいっさい必要ないそうです。この、グループホームというフィンランドでは比較的新しいシステムに、ほんとうにほっとしたわと、娘は笑顔で語ります。体操教室、絵画教室などアクティビティも多いしねとドイツ人の夫も同調。それにね、ここに入居以来、親戚家族の訪問回数が、自宅よりもずっと増えたのだよ。長年会っていなかったいとこにも思いがけずに再会したと、嬉しそう。

  現在、アニッキは骨折以来、右手の運動機能が衰えて、食事にも少し補助がいるようですし、ウォーカーでの歩行もややぎこちない状態になりつつあります。自分の個室にいるときは別ですが、外にでたり、アクティビティに参加したりすると、帰るべき自分の部屋がどこにあるか、わからなくなることもたびたび。年齢的にもこのまま、ここで人生を終えることになるのは必然です。

2014年7月28日月曜日

暑い日が続いています


  暑い夏が続いているフィンランドです。もう何日も朝晩の湖でのスイミングで体を冷さないとうだるという状態が続いていま。夏至祭のころのあの寒さが嘘のよう。この湖で泳ぐということ、最初は少し抵抗がありました。なんだかほんとうに湖の水がきれいなのかしらと、アメリカのスタンダードでものを見ていましたから。でも、思い切って始めて見ると、塩分のない水で泳ぐ体の軽快感が全く違います。あがってから、ちょっと体をやすめていると、すぐに体が乾燥していくのですが、そしてサッパリするのです。



  一日中、湖はにぎわっているようですが、私は日中はあんまり暑いので、朝晩泳ぐことにしています。朝の8時には、夜中の熱気が水温を保っていたのか、最初のひゃっと感が過ぎると、もう温かいという感覚が押し寄せてきて、泳ぐ爽快感に幸せ感が増して。
  湖の周辺には人々が寝転がり、もう1年分の太陽を体に蓄積しようとしています。若者や家族連れももちろん多いですが、目につくのは結構のお年の方々。長年泳いできたのでしょうか、見た目70代、80代の方々がスイスイと楽しんでいます。写真をとっては失礼かと気が引けているのですが、もっとフィンランド語が上達したら、お許しを得て、記録したいと狙っております。それにしても、毎日の森の中の散歩コースでも、高齢の方々をよく拝見します。ノルディックスキーストックを使って、すごい勢いで歩いている人もいるし。フィンランドの高齢者人口率はヨーロッパでもトップクラスなのはこういう、野外での健康を維持するエクササイズにも支えられているのでしょうか?

2014年7月19日土曜日

友人家族の誕生日パーティーで考えること

   フィンランドの普通の人々の生活を知りたいと思うけれど、大学中心の生活では、なかなかそうもいかないようです。それと、フィンランド人はなかなか簡単に人と友達にならないようです。バスの中でも、人々は素知らぬ顔で違う方角を向いているか、または携帯電話のスクリーンに見入っていますし。誰かがいいました。フィンランド人と友人になるのは難しいと。でも、一度友人になったら、それは一生の友人だけどとも。

私は少しラッキーでしょうか、とても心の広くて暖かい友人ができました。その彼女のお姉さんの誕生日パーティーに招待され、お姉さん夫婦の自宅の近所の人が次々とやってくる楽しいひと時を過ごすことができました。
    

お母さんが北方サンタクロースの住むというフィンランド北方にあるサマーカッテージからこのために帰ってきて、数日をかけて準備したというものです。 80人からの隣近所を含めての友人、親戚、家族が集まりました。

近所の人や親戚のおじさんが歌やアコーディオンを奏でます。すべての料理、ケーキは手作りです。


  


  姉の夫の家族はロシアとの戦争でカレリアを失った時に、タンペレに移ってきました。その当時フィンランドで2番目の大都市だったカレリアがロシア軍の侵入で数日のうちにすべてを残して、去らなければならなかったのは、いずれもっと調べて書きたいことの一つですが、そのため、ご主人家族はその時に手に入れた家に今でも住んでいます。ご主人はここで生まれ育ち、彼が結婚して、両親がもっと小さい家に移り、すでに50年以上ここに暮らしているというのです。300坪ほどの敷地には古くて大きなりんごの木をはじめ、家庭菜園のほとんどが。ビニールハウスもあります。子供のないご夫婦ですが、3頭の大きな犬がガーデンを駆け巡っています。友人の両親は離婚していて、父親も母親もそれぞれ再婚していますが、両方も張り切って出席しています。
   飲んで、ダンスして、話してというひとときですが、一つ気づくことがあります。

それは、フィンランドの男性。これは特にお姉さんのご主人を眺めながら感じたのですが、始めに紹介されて、私とは簡単に英語で話しましたが、すぐにすーっといなくなり、庭に用意したパーティーのためのテントのテーブルの片隅にこしかけ、缶ビールを飲んでいます。次々にお客がきても、嬉しそうにお祝いのプレゼントを受け取り、おしゃべりするのは姉ばかり.むろん、彼女の誕生日ですが。
メインコースの食事も終わり、ケーキになる頃、あれあれ、ご主人、いつのまにかテーブルのお客の女性軍と談笑というか、ふざけるような楽しいおしゃべりをしているではありませんか。
友人がこっそりと私にささやきます。
“義兄は典型的なフィンランドの男よ。普段はちっともしゃべらない、おとなしいくせに、お酒が入ると、あんなふうにヨーキになるの。今、話している女性たちは奥さんの職場の女性達ということにも、気づいていないのよ!”
そう、フィンランドの男はなんか、影が薄く見えるのです、ほんと。