2014年8月22日金曜日

認知症で亡くなるということ

その昔、人は年を取るにつれ、ぼけるという表現が当たり前に使われていたように思う。祖父母のことを話す時にも、うちはぼけて亡くなった、いやうちの祖父母は最後まではっきりしていたとか。残念ながら短期間の記憶はやはり年とともに衰えがちで、さっき使っていた眼鏡をさてどこに置いたのかというようなことが次第に増えていくことはどうにもならない。そうやって、おばあちゃんたらーとか、おじいちゃん、年だねーなんて言ったり、言われたりしながら年を重ね、最後には家族に世話になりながら、家族に見守られ、人は人生を全うしていったのだった。ところが、昨今では、その家族が記憶や認知能力の減退した高齢者の世話にくたくたになり、ギブアップしがち。徘徊、アグレッシブな言動に振り回され、下の始末に辟易している。大家族の喪失で多くの助けもないし、自分自身の生活の大変さ、子供の世話や心配もあるしという状況。
そして、核家族化の進んだ現在では高齢した親と暮らすのはたとえ自分の親であってもなかなかむずかしいのに、ましてや、それまで一緒に暮らしてこなかった義理の親と暮らすのは, 大変。生活スタイル、物の考え方、嗜好、すべてを共有するというのは容易いなことではない。
   その点、西欧、特にフィンランドではその割り切りがはっきりしていて、どんなに仲良く、行き来が頻繁な家族であっても、高齢の両親と暮らすという考えはないようだ。法律でもはっきりと子供は親の老後の面倒を見る必要はないと定められているぐらい。
原則的に子供達の巣立った親達は高齢化すると、夫婦二人暮らし、または連れ合いに死なれ足り、離婚したりで一人暮らしであるが、長年すみなれたアパートメントや家で人生を全うしたいと望んでいる。
とはいえ、認知能力の減退は確実に進行し、フィンランド総人口540万人のうち2010年では登録されているだけでも12万人のアルツハイマー症、年ごとに13000人の増加が推定されている.また、アルツハイマー症と診察されていない患者もいることを考察すれば、事態は深刻である。
      社会、保健福祉の先進国北欧国家でも、それらにかかる経費の経済的負担の増加が国家財政を頻拍しているのは顕著で、特に2008年に始まる深刻な経済劣化の進行するフィンランドではその対応に右往左往しているのが見て取られる。フィンランドの70才以上の高齢者で認知症と診断された人たち、または死亡診断書に認知症と記載された数は2011年で11631人、その内6.5%しか実際に自宅で亡くなっておらず、半数近くは地域の保健センターの病室となっている。フィンランドの保険制度では、地域住民はその地域の保健センターに登録されていて、そこには入院病室もある。そこで見切れなくなった患者は一般の病院またさらに高度の医療が必要な場合には大学病院に移される。大学病院はどこでもいいわけではなく、大学病院区分が全国で6つに分けられていて、地域の保健センターはこのどこかに所属していることになっている。


  
      ところが、ここ10年来の傾向では、養老院やグループホームなど長期療養型介護施設などのいわゆる介護施設での死亡が増加している。特に24時間介護付きのグループホーム、シェルターホームともフィンランドではいわれるが、ここでの死亡数が増加の一途である。これは、日本のグループホームとは少し制度が異なり、地方自治体、NPOや民間が運営していて、ワンフロアに14、5室のシャワー、トイレ付き個室(ほとんどが個人で入居しているが、夫婦やまたは部屋を共有している場合もある)、キッチン、ダイニングルーム、リビングルーム、サウナと、ナーススティーションが配置されている。国の区分では長期療養医療福祉から、自宅介護区分に移行しつつある。原則的にナースは配置されているが、医療行為は行わず、生活介護が主となる.自宅での一人での生活の困難が入居者の主な要因となっているから、ほとんどは認知症を併発している。このグループホームは基本的に、今までの自宅は一人暮らしができないので、介護付きのアパートメントに入る、家を移るという考えに基づいている。であるから、入居者は個室のレンタル料、3度の食事代、部屋の掃除、シャワーやサウナ、認知症が進行した場合にはオムツ替えなどの排泄介護をふくめた日常生活介護、毎日薬を飲んでいるかのチェック、それに肉体や知能機能セラピー、絵画教室、健康体操教室、お買い物お出かけ、シティーツアなどのアクティビテーなどをふくむ介護サービス料を支払わなければならない。投薬がある場合の薬代は自己負担である(とはいえ、それは国の保健福祉サービスでほとんどカバーされるが)。
  しかし、ここは入居者の終の住処だから、病院に入院しているのでも、長期療養型老人ホームでもないのだから、「彼らの家なのだから」できるだけアットホームな気分を味わってもらえるようにするのが介護の目標とスタッフが口をそろえていっている。スタッフの仕事の一端はパンやケーキを焼いたり、一緒に散歩したり、お花を飾ったりなどでもある。家族が頻繁に尋ねてくる人もあれば、全く来ない人も、それぞれ、自分の生活スタイルを無理のない範囲で維持できるように見守っている。それでも、ここは共同のグループホームだからとみんなで誕生会をしたり、ダンスをしたりもする。それも、決して強制参加ではないから、出たい人だけではあるが。



  家族が介護で疲れ果ててストレスになるのではなく、こういう形で終焉するというのが、北欧社会福祉国家の選択なのだろうか。

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