2014年8月27日水曜日

フィンランド アルツハイマー協会



  フィンランドのアルツハイマー協会のセクレタリーの一人とインタビューしました。1988年に創立されたNPOであり、主としてスロットマシーン協会からの援助を財源としています.
協会本部はヘルシンキにありますが、その他に北部、東部、西武の3つのディストリクトオフィスがあり、42のローカルの支部に渡っており、12,000人のメンバーからなるそうです。その主とした活動目標は以下の通りで、他の多くの先進諸国と変わりありません.

認知症者とその介護人の生活の質の向上
認知症者の法的、経済的、社会的権利の向上
支援システムの構築と展開
保健介護に携わる人たちの教育
認知症認識の向上
認知症に関わる方策への提言


   ここフィンランドで特に力をいれていることは、認知症高齢者のレジデンシャルケアホームは、一般的に施錠されていて、レジデントが徘徊などにより無断で外出してしまうのを防ごうとしていますが、これがヒューマンライトに逆らうとしている点ではないでしょうか.また、認知症を病気として認識するよりは老化のプロセスとしてとらえていることから、社会福祉サポートを受けにくいという実態があるそうです。それで、この認識を改め、より充実した社会、保健福祉サービスを受けられるようにしようとしているとのことです。高齢化して子供達が独立した後、自宅で夫婦または一人で老後を送るのが一般的なフィンランドですから、社会福祉サービスが行き届いていると思いがちですが、実際にはいろいろ問題点が多いようです.特に、交通手段のサポート、ディリハビリテーションやトレーニングを受けづらい、家族のものが介護した時のサポートが少ない、介護として認められにくいなど。肉体機能の低下に合わせて住宅をバリアフリーに改築することは勧められているものの、実際のところ経済的支援をうけるのは容易くないようです。
フィンランドが社会国家と確言できるわけではありませんが、旧ソ連の支配下にあったことからも、人々がヒューマンライトについてとりわけ注目しているのが見て取れます。そのため、女性の社会的権利も強く、世界で初めての女性参政権、女性大統領を生んだのでしょうが。アメリカでもレジデンシャルホームの認知症棟は施錠されていました。日本のグループホームでは規定されているものではなく、各々の判断に任せられているようですが。この違いは、アメリアではレジデンシャルホームに入居していても、認知症が進行したときに、患者として長期療養型施設に移り住み、介護区分が変わるからでしょう。フィンランドでは現在その定義がややあいまいであり、長期療養型施設でなく、住宅介護を施すグループホーム、レジデンスホームへと区分変更を進めている過程です。そうなった時にこのことはますますディベートの一つになるのでしょうか? でも、実際のところ、ユーコラのようなほとんどが認知症高齢者のグループホームで施錠がなかったら、どうなってしまうのでしょう。 階段やエレベーターはもとより、スタッフ、ビジター用トイレも施錠されています。日常のように徘徊しているレジデンス。そうでもなかったら、どのようにこのレジデンスをケアしていくことができるのでしょうか?
   ちなみに日本の新聞報道では認知症者の徘徊が高じていろいろな問題を生じていると報道しているようです。ジャパンタイムスは日本では年間1万人の認知症失踪者がいるとしています。家族との連絡が取れなくなって、10年以上も養老院などの介護施設に暮らす人がいるとのことです。フィンランドではこんなことはほとんど聞いたことがないと大学の同僚やレジデンシャルホームのスタッフがいいますが、ほんとうにそうなのでしょうか?

  だとしたら、それはどのような違いによる結果なのでしょうか?一緒に暮らしていなくても、家族が常にモニターしているということでしょうか?認知症が進行して徘徊などの症状がでると、すぐに長期療養型施設に入居させてしまうのでしょうか?

2014年8月26日火曜日

食事と体重

     ユーコラのレジデンスの体重増加が問題になっているという。ヘルガは入所以来5kg増加。フィンランド人はそれでなくても、若い女性は除いて、一般的に太めの体型。北欧系体型だから、平均身長、男性178.5cm、女性165.3cm、日本人よりそれぞれ5cm以上高い。体重では女性で65-70kg、男性では80-90kgの人がざらにいる。中年以降の人々の胴回り、そうとう太い人が多い。平均年齢が84-5才のユーコラレジデンスの体重は女性でも80kgに近い人が多い。それに合わせる下着のサイズが大きいので、ランドリーマシーンから出して、乾燥機に移す時にもうビックリ。それでなくても運動能力、筋力の低下の進行している高齢者の転倒の危険性がますます増加し、そのための事故やけが、それが引き金になる死のことを懸念すれば、やはり体重コントロールは重要なチェック項目である。65才以上の人口の糖尿病も、特に女性に多い。
若い頃は背が高く、すらりとしている青い目の金髪の乙女が多いのに、年とともに膨らみ、とても残念。
   
   ユーコラの食事を観察してみると、朝食は、ポーリッジという小麦、大麦、オーツ、セモリナ(デュラム小麦)、米などの穀類を水や牛乳で柔らかく煮たお粥状の料理が一般的。これに、バター、牛乳をかけて食べることが多い。飲み物は、牛乳または、りんごジュース。昼はこの国ではメインデッシュなので、肉、魚にゆでた野菜、マッシュポテトまたは、ゆでたジャガイモ。ソーセージやレバーや豚の内臓の煮込み、キャセロールもよく出る。それに、デザートは欠かせない。イチゴ、ブルーベリーなどのベリーや、パイナップル、マンゴ、オレンジなどフルーツのゆるいゼリーにバニラクリーム、ホイップクリームなどのクリームがけ。飲み物は、牛乳または、りんごジュース。
夕食はスープや、またポーッリジが多い。夕食のポーリッジにはイチゴやブルーベリーなどのベリーのスープ(といっても甘くないシロップのようにも感じるが、イチゴスープとか、ブルーベリースープとして売られているのを店頭で見かける)。デザートにヨーグルト、ラッカという酸で凝固したフレッシュチーズにベリーやフルーツ、生クリームを加えて甘くしたもの、またはオーツ、小麦などの粉にフルーツやベリーを加えて、牛乳と砂糖を加え甘い粥状にしたものなどがよくでる。たまに、アイスクリームもでたりする。飲み物は、牛乳または、りんごジュース。この3食に加えて、10時、午後2時にはコーヒータイム、コーヒーとケーキ、菓子パン、クッキーのスナック。夕食の終わるのが5時過ぎと比較的早いので、寝る前に7時過ぎに簡単なスナック、サンドウィッチ、ときにはグリルしたソーセージなどが出される。飲み物は、牛乳または、りんごジュース。

   ほとんどのレジデンスは戦争体験者、ロシアの侵略、占領下を生き延びてきた人たちなので、残すことを嫌う。これは、特に女性に顕著で、きれいに平らげる人が多い。
でも、観察を続けていて感じることは、日常生活の運動量にたいしてやはり、カロリーオーバーではないかということ。もちろん栄養士が計算して献立を検討していると思うが、糖分、炭水化物食品が多すぎるように見える。おまけに、フィンランドは世界一のコーヒー消費国、原則的にいつでもコーヒーなど飲み物を要求できることになっているので、国民の平均6,7杯というのはほんとうだということがよくわかるほど、飲む。そのコーヒーの飲み方だが、ほとんどブラックではなく、クリームか牛乳に砂糖を入れる。その砂糖も角砂糖をまず歯にはさみ、そこにコーヒーを流し入れる人をよく見かける。戦争時代の貧しいときの砂糖は貴重な楽しみだったからと、そういう習慣が生まれたそうだ。けれど、コーヒーの砂糖に加えて、必ず一緒に、クッキーやプウラなどの甘いパン、ケーキを食べるから、それでは多すぎじゃなーい?と言いたくもなってしまう。
  
      そして、ここユーコラの問題の一つは、認知症のため、食べたことを忘れてしまうことでもある。甘いものが好きな女性ではあるが、ときに“私はまだデザートをたべていない“と、2度目の要求の大きい声をあげる人も。

   日常生活の中での食事やコーヒータイムは栄養ばかりでなく、精神的にも、そしてダイニングで食事をともにすることからの会話などで社会的にも大切なことではあるが。そして、認知症をはじめ何らかの慢性病などを抱えているので、その薬を飲むにも食事は大切なこととなっている。確かに、そうだと思うけれど。



2014年8月23日土曜日

ナシ湖のクルーズ

    
    私がボランテアで通うタンペレ市の高齢者グループホーム、ユーコラとインピバラは、タンペレ市で一番大きなナシ湖に面して建っています。眺めのいい、毎日見ていても見飽きない景色は、そこに住む高齢者ばかりでなく、働くスタッフの、訪れる家族や友人の心も和ませるというものです。
今日は、そこでボランティア活動をしている団体とタンペレ市がレジデンスをナシ湖のクルーズに招待してくれ、私も同伴させていただきました。
ナシ湖は南北に細長く40km以上ものびている湖で、最深は80mにも達する深さです。そのためでしょうか、50年ぶりの暑さがしばらく続いた今年の夏、ボランティア帰りにしばしば泳いだのでしたが、その湖水の冷たさに、5分と長くは泳ぐことはできませんでした。
ボートは約100人乗りぐらいの中型で2000年に建造した新しいものだとはいっていましたが、素朴なテーブル付きの客席とコーヒーとスナックを提供する簡単なキッチン、そして別にしきりがあるわけでもない操縦席のほんとにシンプルなスタイル。
                                        

ドラゴンの音もなくボートはハーバーを離れ、2時間ばかりのクルーズの始まりです。やがてユーコラ地域に近づいていき、そして、ボートのなかで湖から眺めるユーコラの建物の美しいことといったら!ここに生活できる人はしあわせじゃあないでしょうか?!





湖岸にはただただ森林が続く限りで、その中にサマーカッテージがポツン、ポツンと点在しています。小さなカッテージハウスとサウナ。


クルーズといっても、これといった説明があるわけではなく、ときどき船長が、今はコウクニエミ(ユーコラのある地域の名称)とか、ノキアに近づきますとボソボソと説明するような、話すようなことだけ。クルーズボートはひたすら陽光あふれる湖水を静かに進んでいき、ボートの中やデッキで人々が家族と、ボランティアの付き添いと何のことはない話をしながら、静かな時間が流れていきます。
湖岸のサウナからモクモクと煙りが立ち上っているところもあり、私の同行したTは、私もずっと前にはモッキ(サマーカッテージのフィンランド語)を持っていたのと話しています。


  4000以上という、数えきれない程に湖の多いフィンランド。この国の人たちはこうして湖と森林に融け込むように融和して静かに生活してきたのだなあと、改めて思います。





2014年8月22日金曜日

認知症で亡くなるということ

その昔、人は年を取るにつれ、ぼけるという表現が当たり前に使われていたように思う。祖父母のことを話す時にも、うちはぼけて亡くなった、いやうちの祖父母は最後まではっきりしていたとか。残念ながら短期間の記憶はやはり年とともに衰えがちで、さっき使っていた眼鏡をさてどこに置いたのかというようなことが次第に増えていくことはどうにもならない。そうやって、おばあちゃんたらーとか、おじいちゃん、年だねーなんて言ったり、言われたりしながら年を重ね、最後には家族に世話になりながら、家族に見守られ、人は人生を全うしていったのだった。ところが、昨今では、その家族が記憶や認知能力の減退した高齢者の世話にくたくたになり、ギブアップしがち。徘徊、アグレッシブな言動に振り回され、下の始末に辟易している。大家族の喪失で多くの助けもないし、自分自身の生活の大変さ、子供の世話や心配もあるしという状況。
そして、核家族化の進んだ現在では高齢した親と暮らすのはたとえ自分の親であってもなかなかむずかしいのに、ましてや、それまで一緒に暮らしてこなかった義理の親と暮らすのは, 大変。生活スタイル、物の考え方、嗜好、すべてを共有するというのは容易いなことではない。
   その点、西欧、特にフィンランドではその割り切りがはっきりしていて、どんなに仲良く、行き来が頻繁な家族であっても、高齢の両親と暮らすという考えはないようだ。法律でもはっきりと子供は親の老後の面倒を見る必要はないと定められているぐらい。
原則的に子供達の巣立った親達は高齢化すると、夫婦二人暮らし、または連れ合いに死なれ足り、離婚したりで一人暮らしであるが、長年すみなれたアパートメントや家で人生を全うしたいと望んでいる。
とはいえ、認知能力の減退は確実に進行し、フィンランド総人口540万人のうち2010年では登録されているだけでも12万人のアルツハイマー症、年ごとに13000人の増加が推定されている.また、アルツハイマー症と診察されていない患者もいることを考察すれば、事態は深刻である。
      社会、保健福祉の先進国北欧国家でも、それらにかかる経費の経済的負担の増加が国家財政を頻拍しているのは顕著で、特に2008年に始まる深刻な経済劣化の進行するフィンランドではその対応に右往左往しているのが見て取られる。フィンランドの70才以上の高齢者で認知症と診断された人たち、または死亡診断書に認知症と記載された数は2011年で11631人、その内6.5%しか実際に自宅で亡くなっておらず、半数近くは地域の保健センターの病室となっている。フィンランドの保険制度では、地域住民はその地域の保健センターに登録されていて、そこには入院病室もある。そこで見切れなくなった患者は一般の病院またさらに高度の医療が必要な場合には大学病院に移される。大学病院はどこでもいいわけではなく、大学病院区分が全国で6つに分けられていて、地域の保健センターはこのどこかに所属していることになっている。


  
      ところが、ここ10年来の傾向では、養老院やグループホームなど長期療養型介護施設などのいわゆる介護施設での死亡が増加している。特に24時間介護付きのグループホーム、シェルターホームともフィンランドではいわれるが、ここでの死亡数が増加の一途である。これは、日本のグループホームとは少し制度が異なり、地方自治体、NPOや民間が運営していて、ワンフロアに14、5室のシャワー、トイレ付き個室(ほとんどが個人で入居しているが、夫婦やまたは部屋を共有している場合もある)、キッチン、ダイニングルーム、リビングルーム、サウナと、ナーススティーションが配置されている。国の区分では長期療養医療福祉から、自宅介護区分に移行しつつある。原則的にナースは配置されているが、医療行為は行わず、生活介護が主となる.自宅での一人での生活の困難が入居者の主な要因となっているから、ほとんどは認知症を併発している。このグループホームは基本的に、今までの自宅は一人暮らしができないので、介護付きのアパートメントに入る、家を移るという考えに基づいている。であるから、入居者は個室のレンタル料、3度の食事代、部屋の掃除、シャワーやサウナ、認知症が進行した場合にはオムツ替えなどの排泄介護をふくめた日常生活介護、毎日薬を飲んでいるかのチェック、それに肉体や知能機能セラピー、絵画教室、健康体操教室、お買い物お出かけ、シティーツアなどのアクティビテーなどをふくむ介護サービス料を支払わなければならない。投薬がある場合の薬代は自己負担である(とはいえ、それは国の保健福祉サービスでほとんどカバーされるが)。
  しかし、ここは入居者の終の住処だから、病院に入院しているのでも、長期療養型老人ホームでもないのだから、「彼らの家なのだから」できるだけアットホームな気分を味わってもらえるようにするのが介護の目標とスタッフが口をそろえていっている。スタッフの仕事の一端はパンやケーキを焼いたり、一緒に散歩したり、お花を飾ったりなどでもある。家族が頻繁に尋ねてくる人もあれば、全く来ない人も、それぞれ、自分の生活スタイルを無理のない範囲で維持できるように見守っている。それでも、ここは共同のグループホームだからとみんなで誕生会をしたり、ダンスをしたりもする。それも、決して強制参加ではないから、出たい人だけではあるが。



  家族が介護で疲れ果ててストレスになるのではなく、こういう形で終焉するというのが、北欧社会福祉国家の選択なのだろうか。